3-1『傷は癒せても人の心は癒せぬ女』
草風の村。
負傷者収容天幕内部。
その中の一台の簡易ベッドには、怪我を負った草風Aが横になっている。
そして横たわる彼の側にもう一人、村人ではない女性の姿があった。
彼女の手には杖が握られ、彼女はそれを水平にして持ち、草風Aの体の上に掲げていた。
修道女「……生ける力よ、癒したまえ。その力で血肉を蘇らせたまえ……」
彼女は目をつむり、言葉を紡いで行く。
すると草風Aの腹部や腕にある傷の周辺に、発光する粒子のようなものがいくつも現れた。
そして粒子に覆われた傷は、まるで早送りでもするかのように塞がって行く。
衛隊B「ひぇー……」
脇では衛隊Bがそれを眺めていた。
女性は詠唱を続け、やがて全ての傷は完全に塞がった。
修道女「……終わりました。生命力をいくらか使いましたから、回復するまで安静にするように」
草風A「あぁ、ありがとよ」
草風Aは傷の塞がった腕を眺めながら礼を言った。
衛隊B「すごいですね、修道女さん……こんな事ができるなんて」
傷の塞がった腕と女性を見比べながら言う衛隊B。
修道女「えぇ、当然です。私達は栄えある地翼教会に使える者。この程度は造作もありません。
むしろ使えない者達が劣った人間なのです」
衛隊Bに修道女と呼ばれた彼女は、笑顔を浮かべたままそう返した。
衛隊B「は、はぁ……」
修道女「そういえば、あなた方は神兵と謳われていると聞きましたが、
その割には治癒魔法は一切使えないようですね?」
衛隊B「え?まぁ、治癒っていうか魔法そのものが一切合財使えないんですが……」
修道女「怪我の処置は……まぁ手作業で行ったにしてはなかなか丁寧な処置ですが、
治癒魔法に比べれば野蛮な方法に代わりはありませんね」
衛隊B「まぁ、そうかもしれませんが……(うぇぇ、何この人)」
修道女の歯に衣着せぬ物言いに、衛隊Bは表面上当たり障りの無い返答を返しながらも、
心の中では嫌な顔をしていた。
修道女「そもそも……」
司祭「修道女、喋るより手を動かしたまえ」
小言を続けようとした修道女だったが、それは飛び込んできた別の声によって中断される。
別のベッドの怪我人を手当てしている男性が、修道女を軽く睨みつけていた。
修道女「こほん、失礼しました」
修道女は咳払いをすると、他の簡易ベッドの患者へと歩いていった。
衛隊B(なんか、面倒くさい人達だなぁ……)
治療を続ける両者を見ながらそんな事を思う衛隊B。
負傷者の看護をしている彼等は、星橋の街にある教会から派遣されてきた人間だった。
現状、草風の村に直接介入はできない第12月詠兵団司令部がせめてもの助けにと、
この世界の民間組織である教会に話を回し、彼等が派遣されてきたのだ。
衛生「衛隊B、どうなってる?」
衛隊B「あ、衛生さん」
衛生が天幕内に入って来て、衛隊Bに状況を聞いてきた。
衛隊B「あとは司祭さんと修道女さんが、それぞれが見てくれてる人で終わりです。82車長三曹の治療は?」
衛生「準備は整った、今から鏃の摘出にかかる。司祭さん。今から負傷した我々の仲間の、矢の摘出を行います。
今の処置が終わったらでかまいません、摘出後の傷の治療をお願いしたいんですが」
司祭「いいでしょう」
先程から司祭と呼ばれている壮年の男は、表情を変えずに一言だけそう答える。
司祭「修道女。君はその怪我人が終わったら、修道士たちを手伝いに行きたまえ」
そして修道女に向けて治療の片手間に淡々と言う。
避難区域では、別の修道士たちが軽症者の治療を行っており、修道女にもそこへ応援に行くよう指示が与えられた。
修道女「はぁ。これで終わりかと思ったのに、また下々の者達のために
駆けずり回らなければいけないようですね」
衛隊B(別にここまでも、そんなに駆けずり回った分けじゃ無いじゃん)
笑みを浮かべて言葉を並べる修道女に、衛隊Bは心の中で悪態を吐いた。
司祭「文句を言うな」
修道女「分かっています、これも貴族たる者の役目ということでしょう」
衛生「衛隊B、終わったらお前が避難区域まで案内してやってくれ」
衛隊B「了解……」
言うと衛生は天幕を出ていった。
修道女「さて、早く終わらせましょうか」
そして修道女は治療に戻った。
衛隊B「……なんかいちいち上から目線でやな感じ」
衛隊Bは集中し出した修道女を見ながら、小声で呟く。
草風A「おい、嬢ちゃん」
渋い顔を浮かべる衛隊Bに、誰かが小声で話しかけた。
振り向くと、草風Aが小声で呼びつつ手招きをしていた。
衛隊Bは草風Aに近づき、聞き耳を立てる。
草風A「驚いたか?ぶっ殺してやりたくなっただろ」
衛隊B「あー、えぇまぁ……なんなんですかあの人?教会の人達とは聞きましたけど……」
草風A「嬢ちゃん達はこのへんの事情は詳しくないんだったな。
正しくは地翼教会って言ってな、この地翼の大陸全土に支部を持つ宗教組織だ。
本家は伝脈の大陸にある宗教で、そっから分派したのが地翼教会だって聞いてる」
衛隊B「へぇ」
草風A「まぁ、今はそこはいいか。肝心なのは、その大多数が貴族出身者によって構成されてるって事だ」
衛隊B「貴族ですか?」
草風A「そう。名家の出身やら、騎士の家柄の子女やら色々いる。
そして厄介な事に、妙な選民思想に取り付かれてる連中が多いようでな、
身内以外を見下してる傾向にあるんだ」
衛隊B「はぁ……そういう身分なら、それこそとるべき態度があるはずなのに」
言いながら衛隊Bは一瞬だけ修道女を見る。
草風A「まともなヤツも居ない訳じゃないんだが……まぁ、そう理想道理にはまかり通らないって事だな。
あの姉ちゃんみたいに、極端にひでぇのは俺も始めてみたけどよ。
元からああなのか、この辺の事情の影響でああなったのかは知らないが」
衛隊B「?どういう意味ですか?」
草風A「あぁ、彼等は月詠湖の、星橋の街の支部の人間だって聞いたんだが……、
実は、月詠湖の王国とそれに同調する周辺の国は、かなり前に貴族制度を廃止してるんだ」
衛隊B「え、そうなんですか?」
草風A「そう。廃止されたのはもう60年は前になるか。
今じゃ月詠湖の王国やその近辺では、貴族なんざ物乞い以下と思ってる地域だって少なくない。
一応、教会の連中は国の客人扱いだから迎え入れられているが、国民からは当然よくは見られてない。
そして、それがかえって教会の連中の感情を逆撫で。
双方の相手に対する心象は悪化する一方ってわけだ」
衛隊B「はー、こっちの世界も面倒なんですね……」
草風A「ともかく、彼らのいう事を真に受ける必要は無い。あんまり気にするなよ」
修道女「何を話しているのかしら?」
話が一区切りしたタイミングで、背後から声が聞こえてきた。
振り向くと、すぐに修道女が立っていた。
衛隊B「うわ……あ、いえ別に」
修道女「こちらは終わりました。住民の看護でしたね?
雨も降っていますし、早く案内してもらえますか?」
案内しろと言っておきながら、修道女は先に天幕から出て行ってしまう。
衛隊B「あ、ちょっと勝手に……!」
衛隊Bは慌てて必要な衛生用品を鞄に詰め込むと、それを持って修道女を追いかける。
衛隊B「ちょっと待って……って、あれ!?もういない!?」
しかし衛隊Bが天幕の外に出たときには、すでに周囲に修道女の姿はなかった。
衛隊B「どーしよ……あんな面倒臭い人が、隊員Cさんあたりと鉢合わせしたら……」